“思い”を言動に移す責任の大きさ【指導の一環という甘え】

教育
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こんばんは、くれあです。

今日休憩中に気になるニュースが話題になっているのを目にしました。

教員としてとんでもない言動です。

元教員として、このニュースで思ったことをまとめていきます。

子どもの心の成長を潰す

ニュースになった女性教員の言動で、

2つの意味で子どもに悪影響だと私は思います。

差別意識の促し

女性教員は児童が騒いだ時

「邪魔だと思う人は手を挙げて」

と挙手を促します。さらに挙手しなかった児童に

「あなたも支援学級に行きなさい」

と発言し、手首を掴まれた児童もいたようです。

まるで女性教員にとって厄介者は支援学級に行かせれば良い、

というような差別意識が感じ取られます。

私は個人の違いをそれぞれ受け入れる練習をするのが、学校の大きな役割の一つだと思っています。

そして受け入れられるようになるのが、一歩の心の成長です。

ですが、この女性教員は違いを受け入れるどころか、

差別、排除するような言動、子どもたちにとって悪いお手本になってしまったことでしょう。

自制心の欠如

私たちは完璧ではありません。

支援学級にいる児童であろうとなかろうと、

授業中うるさいと正直困ってしまう気持ちはあります。

ただ、大事なのは、

その困った感情のままに児童にぶつけて、

児童個人の肯定感を潰すようなことは、あってはならないことだと思います。

挙手をせず女性教員に注意された児童の中には、

「先生が怖い」と学校を休んだ子もいるようです。

女性教員の言動によって児童の「私はここにいても良いんだ」という

安心感さえも潰してしまっているのです。

学校=安全な場所

というイメージを出来る限り守るのが教員の最低限の仕事の1つだと思います。

この女性教員はその最低限のことも守る努力をしていない・できていない、と思います。

“指導の一環”という言い訳の便利さ

女性教員は「指導の一環として、悪意を持っていたわけではない」と説明していたようです。

一般企業のパワハラ含め、様々なニュースで耳にするような言葉です。

“指導の一環”という言葉で一応(?)辻褄が合うような説明にはなるかも、

と本人は思っているかもしれませんが、実際児童の尊厳を守られてないのですから、

ただの言い訳にしかなりません。厳しいようですが、甘えのように感じます。

教採の限界

今回のニュースで「何でこんな人が教員なの」という意見も見られました。

他の教員の不祥事に関するニュースでもよく見る意見です。

実際、私も学校という現場にいて、

ニュースになるほどではありませんが、言動に問題がある教員が現場にいた経験があります。

その時は正直「何でこの先生採用されたんだ…」と心の中で呟いていました。

でも採用試験では、教員の内面までは深く見ることはできません。

採用試験で最も重視されるのは教員として最低限である仕事、

授業ができるかどうか、だと思うのです。

筆記試験と模擬授業だけでは図りきれません。

思っても言っちゃ駄目な時がある

今回のニュースはやはり教員だから、目立ったニュースになってしまいましたが、

どんな職業、年齢、身分でも

思ったことをそのままぶつけるのはただの言葉の暴力だと思います。

何か言動を起こす時は、

一歩立ち止まって、これを言ったら相手はどう思うだろう、

と想像してみる、という心がけが大事です。

特に教員の場合、忙しない毎日の中でも

生徒や同僚の先生を傷つけないために、そのワンステップは必須だと思います。

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